2015年8月28日金曜日

アンドレア オリヴァ リサイタル in 名古屋

一昨日はアンドレア・オリヴァ氏(ローマ サンタチェチリア管弦楽団 首席フルート奏者)のリサイタルへ。

会場ではたくさんの生徒さん達ともお会いでき、有意義な時間をご一緒しました。


ふくよかで柔らかな、ムラマツらしい音色。
中音域から低音域への移行が常に見事で、豊かな低音が魅力的でした。

何曲かは楽譜と照らし合わせて聴いたのですが、細かいニュアンスに忠実です。
さすが大きなコンクールのタイトル保持者だなぁ、と。

…時々オリヴァ―節?というか、独特の歌い回しをなさるかも (^^ゞ
ワンフレーズがすっきり通らないような、アウフタクトにコブシが入っちゃうような。

もちろん、非凡な素晴らしさであるのは間違いないです!


1曲目、シューマンの3つのロマンスから、シューマンに傾倒していたと言われるヴィドールの組曲を並べたプログラムは、大変興味深かった。
そういう関連を考えてみたことがなかったな (^^ゞ

それから映画音楽で知られるニーノ・ロータ。クラシックの曲もガッツリ作っているのです♪
本人は「本職はクラシック。映画音楽は趣味」と語っているそう。
聴き手への間口が広いのに、高度な専門性を持っているなんて、実にカッコイイ☆

オリヴァ氏が演奏したのは「5つの小品」。FLを始めたばかりの方も楽しめる、可愛らしい作品です。
一度、大垣でフォルミザーノ氏が演奏した、「FL,VN,PFのためのトリオ」を聴く機会があり、ロータの作曲家としての認識を全く新たにしたのを思い出します。

ニーノ・ロータには「フルートとハープのソナタ」もあるようです。メモがてらリンクしておきます。

Nino Rota / Sonate for Flute & Harp

アンコール、選曲も含めてとても素敵でした *:.。..。.:+・゚・*:.。..。.:+・゚・*:.。..。.:+・゚・*:

≪アンコール 1曲目≫
サン・サーンスの「サムソンとデリラ」のアリア、「あなたの声に私の心は開く」

≪アンコール 2曲目≫
エンニオ・モリコーネの「Per le Antiche Scale (邦題 古い階段の下で)」のテーマ曲

モリコーネ、やっぱり好きだなぁ~♡
甘さとせつなさが共にあって、例のアンビヴァレントってヤツです。

Andre Oliva 版 ←コレ撮ってる 同僚・・演奏は美しいです

参考までに… Davide Formisano 版


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アンドレア・オリヴァ / リサイタルのご案内  http://klangjapan467.blogspot.jp/2015/07/blog-post_28.html

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2015年8月15日土曜日

「葉っぱのフレデイ」に寄せて

立秋もとうに過ぎ、晩には秋の虫の声が聞こえてくるようになりました。

今日は70回目の終戦記念日。
とは言っても、そのことに個人的な結びつきを感じるのは、正直難しいです。

ただ、この時期だからこそ、「いのち」というものに触れるきっかけは、テレビや雑誌などでも数多く提供されているようです。


6月に鹿児島へ行った時、鹿屋や知覧にある特攻資料館に立ち寄りました。

印象に残っているのは、戦争という大義の中で失われた「集団のいのち」というよりは、むしろその大義の中で失われた、「個別のいのち」のありようだったことを思い出します。

失われた一人一人のいのちに、各々の生活があり、家族や友人や恋人との間には情愛の結びつきがあった。そんな当たり前のことが、当たり前であり続けることを許されなかったために、その失われたいのちの一つ一つが、なおさら尊く感じられました。

鹿屋史料館 平山郁夫氏のステンドグラス / WEBより拝借

9月に『葉っぱのフレディ』を朗読付きで演奏するにあたり、「いのち」について、不十分ながらも考えてみています。

なんとなく漠然とした、上滑りなスローガンをなぞらえるのでなく、せめて自分が納得しうる拠りどころを探しているのだと思います。


このお話しは、擬人化された葉っぱの「フレディ」が、四季の移ろいを、人の一生に重ね合わせて進行します。生命力や希望にあふれる春夏を経て、やがて季節が移ろい秋冬を迎える。その過程の中で、いのちの終焉は大きな巡りの中に組み込まれていると気付く…というもの。

この「巡り」というものに、人は希望を見出すのでしょうが、この「巡り」って何なのかな?と。
もちろん一つは「輪廻」、という大局的な概念なのかもしれません。
でも、もっと私自身に近く感じるためにはどう捉えたら良いのだろう、と。


近頃出会ったある本の中に、

《いのちの終焉というものは、生きている者にとって永遠に知りえないことであったとしても、それが家族や友人、自分にとって大切な人たちとの離別ならば、その存在は死後においても、日々近くにあるよう感じられたことはないだろうか。その人が「還ってきたかのような」或いは「そこにいるような」感覚を抱いたことは?》

…というような記述がありました。(原文ではありません。)


「葉っぱのフレディ」で語られる「いのちの巡り」とは、例えばそのようなことでも良いのではないか、と思ったのです。

「いのち」とは、その大きな概念の中で触れようとすると、雲をつかむような漠然としたものになってしまうけれど、自分と親しかった人や、私的な関係における人の「いのち」の存在ならば、自分に近しい感覚として、思いを寄せることができるのではないか、と。


”Pie Jesus” from Requiem, Faure / Barbara Bonney

そんなことを考えた、8月15日でした。
思いは深く、響きは軽やかに行きたいものです。


【関連記事】

「葉っぱのフレディ」プロジェクト http://klangjapan467.blogspot.jp/2015/06/blog-post_12.html

ご来場ありがとうございました / 葉っぱのフレディ
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あ、フレディが♪
http://klangjapan467.blogspot.jp/2015/11/blog-post_4.html

アンサンブルレッスン(中級) http://klangjapan467.blogspot.jp/p/blog-page_9.html

フルート教室のご案内 http://klangjapan467.blogspot.jp/p/blog-page.html

2015年8月12日水曜日

三重県フルートフェスティヴァル in 四日市

三重県フルートフェスティバルの入場券(¥1000→¥0)がございます。
ご興味のある方はご連絡下さい。

先着4名さま。
教室以外の方でも OK です。
お申し込みは klangjapan@gmail.com まで。(※送付をご希望の場合は、郵送料のみご負担下さいませ。)

PC版はクリックすると拡大します

2015年8月30日(日) / 開演14:00
三重県四日市市文化会館 第一ホール

☆おなじみのクラシックを、豪華なフルートオーケストラで☆
☆70年代のベストヒットソングを、フルートアレンジで☆
☆今話題の方々の、クールなゲストステージを☆

どなたも楽しめるステージだと思います。

(あ、私は特に関係者ではありませんけどネ…(^^ゞ♪)


【関連記事】

三重県フルートフェスティバル / 生徒さんのレポート
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フルートアンサンブルレッスン http://klangjapan467.blogspot.jp/p/blog-page_9.html