先月の仕事で、ドイツのハレ市からいらした、ある素敵な女性と知り合いました。
ハレ市の劇場で舞台衣装のデザインをしているという方。
この街にはドイツ語圏唯一、人形劇の劇場があります。(主に大人向けの。)
その劇場で、世界的に注目を浴びている演目がある、と
前出の彼女が話してくれて、なんとなく忘れないでいたところ…
同じ演目が、このGWに日本で上演されるとの情報を目にしました。
ので行ってきました、静岡へ!
『腹話術師たち、口角泡を飛ばす(Das Bauchrednertreffen)』
腹話術師とその人形が9組、かなりカオスな会話劇。
会話の層が多元的に飛び交って、観ている方の意識が一点に集約できないのです。
正直、楽しくはなかったです(笑)
ただ、ジワリと考えさせられました。
考えざるを得ないのです。
「オモテ」の自分をつかさどる、腹話術師たち。
オノレの分身をつかさどる、「ウラ」の人形たち。
「オモテ」とは、そのキャラなりの社会的な人格…と言っても、そのキャラはぶっとんで拗らせた面倒くさいヤツらーであり、
「ウラ」とは「オモテ」の鬱屈したホンネや本当の願望を背負わされた、更に濃いキャラの人形たち。
カート コバーン人形も登場 人形ども、キャラ濃すぎ! |
舞台上の際立ったキャラたちのせいで、その「オモテウラ」の関係が他人事に見えてしまうとしたら、ましてやそれを奇妙に思ったり、憐れみを感じてしまうとしたら…
私たちは自分のことを知らないのかもしれない。
腹話術師と人形は、ここでは本当は同じ人物の表裏一体なんだろう。
「オモテ」と「ウラ」があまりに明瞭に分け隔てられているだけで。
哀しみや孤独に気付いていもらいたい
フラストレーションや怒りをあらわにしたい
認められたい、共感されたい
愛されたい…etc.
人形たちーひいては腹話術師たちのホンネの欲求は、(かなりエキセントリックな表現法ではあったけれど)
この世の誰もが心の深層に持ち合わせるものではないのだろうか?
そんなこじらせた登場人物たちを観ていると、それは他人ごとではなくて、まさに自分自身もその舞台に立たされたキャラクターの1人として、あらわにさらされているような気にさえなる。
主役のニルス・ドレシュケ氏 |
会場を後にした観客は、各々の観点でこの演目を味わった様子だった。
私とはまったく異なった意見も聞こえてきたから、解釈は人それぞれなんだろう。
帰りの電車に、偶然にも主役のニルス・ドレシュケ (Nils Dreschke) 氏が乗り込んで来て、私の目の前に立ったので、少し緊張しながらも声をかけてみた。
冒頭に紹介したハレの知人が、まさに彼の知人でもあったので、しばし会話が弾み、静岡駅の構内で10分ほど立ち話をすることができた。
この演目のみならず、年間100日は世界を回っているそうですが、
この演目の反応は、どこでも「ビミョー」なんだそうです(笑)
まーそーだろーなー。
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