2017年9月14日木曜日

D. トリフォノフ 2017 名古屋

ダニール トリフォノフのピアノリサイタルに行きました。

2010年のショパンコンクール以降、大まかながらも、その軌跡を気にしているピアニストです。


プログラム前半は、ショパンへのオマージュ。

モンポウ、シューマン、グリーグ、バーバー、チャイコフスキー等の作曲家たちが、ショパンの作風をなぞって、ショパンへのオマージュ(=敬意、尊敬)とした作品群。

今で言う「マジ、リスペクト!」ってやつかな。

ラフマニノフの「ショパンの主題による変奏曲」という曲がありまして、この曲ばかりはラフマニノフ自身が「オレに注目しろ~!」とばかりに、あっさりショパンの域を超えて「しゃしゃり出てくる」感じが、妙に可笑しかったです。

いずれにせよ、とてもオシャレなプログラム。
バーバーは特に印象的だった。
アンコールは幻想即興曲+スクリャービンの左手のためのプレリュード

後半はピアノソナタの2番。
あの有名な「葬送行進曲」付きの曲です。

文字通り、人の死を悼むおごそかな行進の後、中間部の甘美なメロディへ…。
そのメロディが繰り返し現われるたびに、その人物の生命は徐々に弱まり、最期に死の淵で「幻想」を見る…そんな様子がはっきりと感じ取れるのです。
「その夢のような現実は、確かにあった」と遠い記憶を呼び起こしているかのように、「1人の老人の生と死」が立ち現れてくる。


トリフォノフの演奏には、しばしば「幻が見える」と感じます。
拍(時間)やダイナミクスの整合性から離れ、音と音との関係性が微かに揺らぐ。
その一瞬の不安定さに、儚さをみるのかもしれません。

いわゆる甘いメロディ(葬送行進曲や幻想即興曲の中間部、Pコン1の緩徐楽章等)を生命の喜び、あるいは若さの煌きにまかせて甘美に歌うのではなく、花びらが落ちるような儚さと静寂をもって表現するトリフォノフ。

そんなところが、自分の心に深くタッチするのだと思います。

収容人数2000人を超える大ホールで、究極の引き算の美学をして魅せた彼。
なんというPPP!なんという勇気!!
感動しました。

立体的かつ響和的なファツィオリ コントラバスのような低音

それにしてもトリフォノフは、おじいさんみたいだ。
数年前はあんなに瑞々しかったのに、今は吹き出してしまうほど老成している。
不思議な26歳です。

とても佳い晩でした。

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ダニール トリフォノフ 2014 神戸
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グリンカ 別れのノクチュルヌ (トリフォノフ 幼少期の動画付き)
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