2018年5月25日金曜日

佐藤久成氏 スイーツタイムコンサート@宗次ホール

しばらくご無沙汰していました。
書くこともリズム…ですね。

先日ベルリン芸大時代の友人、佐藤久成(ヒサヤ)のヴァイオリンコンサートにうかがいました。
伴奏は岡田将(マサル)さん。
やはり同じ時期にベルリンにいらした方で、当時から抜きん出た実力をお持ちの方でした。



演奏会に出かけて、期待していたものが予定調和的に充たされるということは、一般的な経験としてよくあることと思います。

期待したものが、そのまま返ってくる…
それはとても幸せなことです。

ただヒサヤ君のそれは、予想を超えて規格外の世界に連れ込まれたような、
破格な演奏会でした。

人々がヴァイオリンに期待する美しい音色のみならず、
かすれた音、うなる音、ひずむ音
そんな雑味のある音色すらも、-それはたまたま生まれた音なのでしょうがー
彼が提示したい世界の一部として、成立しているのです。

それはアカデミックな世界では、賛否…というか、好き好きがあるのかもしれない。
クラシックでは、端正に整った演奏を耳にする機会が圧倒的に多いですものね。

奇をてらっているわけではない。
恣意的にショウをやっているわけでもない。

「そうせざるを得ない」

そんな感じがしました。

彼にとって音楽とは
感情から、身体から溢れ出てしまうもの…そんな感じがしました。

楽譜の一言一言を、佐藤久成という通訳を通じて語り尽くす。
雄弁に、饒舌に、とにかく音楽を通じて自分の感じたすべてをさらけ出す。
少し変わってはいるけれど、彼にとってヴァイオリンをもって語ることは、
本能に近いんだろう、とも想います。

expression という英単語がありますね。日本語で「表現」の意。
でも、もともとは「外へ押し出す」という意味ですよね。
それも内から湧き出る何かがあってこそ。

面白いのは、プログラムの終曲前になってようやくマイクを持ってアイサツ…?のようなもの…?を始めたのだけど、話し言葉はなんともゴニョゴニョとして要領を得ず…まことにズッコケました。

その(相変わらずの)不器用さに親しみを覚え、学生時代を懐かしく思い出しました。

それにしても
世間の想定など吹き飛ばしてしまう、大胆さ。
自己と音楽との濃密な距離、そして自己解放!!

今日はサントリーホール(しかも大ホール)での公演だと言ってました。
すごい!
Viel Glueck, viel Freude!!

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