2019年2月15日金曜日

残心

レッスンをしていて

音楽の始まりと終わりって大事だな、と改めて感じます。

音楽の始まりは、その音を立ち上げる前の「ブレス」にありますね。
そのひと呼吸に、これから発進させる音楽のテンポや強弱、これから始まる音楽のキャラクターといった情報を含んでいます。

「息の合った演奏」と言うのは、それらの情報を、共演者どうし密に共有している、ということでしょう。

一方、曲を終える時はどうでしょうか?
私たち笛吹きは、息がもたないという肉体的な制限があるせいか、意外にテキトーな「終わり方」をしてしまいがちです。

1曲を「きちんと」終える。
それは、最後の音を次の休符まで送り届けること。
そして音が消えても音楽が終わってもなお、その「余白(=余韻)まで聴き切る」ことのように思います。




日本画の特徴の一つは、その余白の緊張感だと言います。
作品の僅かな隙間に、描かれたものとの対比が生まれたり、観る側の想像力を託されたりします。


同様に、音の鳴っている時空ばかりでなく、音の鳴っていない時空にも
創造的な余韻が存在しているはずです。



以前、弓道を見学する機会がありました。
そこでは矢がマトに当たっても当たらなくても、平静を保ちつつ一連の動作を終えるよう、その流れを全体として訓練していました。

剣道や空手、そして他の武道にも「残心(=ざんしん)という概念があるそうです。
「残心」とは最後の所作を終えても「心が途切れない」という意味だそうです。



音楽を終える時にも、同じことが言えそうです。
「残心」…日本独特のステキな文化です。応用しない手はありません。

こういう爪の先まで行き届いた終わり方と言うのは、それまで奏でた音楽への愛着にも通じる気がします。

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