2019年11月26日火曜日

スウェーデン放送合唱団 / 2019 名古屋

秋もたけなわ。
とはいえ、本番を控えこの良い季節を楽しむ余裕はなかなかないけれど

1つ、コンサートに行けました。

スウェーデン放送合唱団×広上淳一×京響
フォーレ / モーツァルト レクイエム @ 愛知芸文 

肩の力が抜ける気がしました。
出かけて良かった。

~スウェーデン放送合唱団~

ベルリンに住んでいた時に、アバド×ベルリンフィルと何度か共演しているのを聴いて、
この合唱団の素晴らしさを知り、
学生時代合唱をやっていた父は、合唱の神様と呼ばれたエリック・エリクソンの時代から知ってはいたらしく、2人で出かけました。

4パート32人。
32人の個「声」が水彩画のように溶け合うようで、フォーレにぴったり。

温かい水蒸気をふわっと集めたような、フォーレ(レクイエム)のあの第一声に
真摯な祈りの空気が立ち昇り、
思わず息を呑み周囲を見渡してしまいました。
凡庸な感性では生み出すことのできない、デリカシーの極みのような響き。

透明なハーモニー、たくさんの空気を含んだ柔らかな声のブレンド。
そのことが死者を悼み、そのために祈り、神の世界を賛美するこの楽曲に真実味を与えていました。


プログラムノーツより


マエストロ広上の解釈は、まさに上記のごとく。
抑制的かつ静謐な響き。だからこそ浮かび上がった死生観。
ああいう音色を出せる合唱団だから、
「死を静かに受容する」という世界観が体現されたのだろう。

また、広上氏がこの合唱団のもつ稀有な響きと
オケのサウンドを撹拌(かくはん)するかのように、
空中を掻き回すようにしていた指揮も、興味深かった。

混じり合うこと、そして一体を成し、空気を揺るがすこと。

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フォーレの方はノンビブラートで発声していたけれど、
メンバーだって良いお歳であろうに、あれだけ声の透明度を保っていられることにも驚く。

…話しはまったく変わりますが
この合唱団の女性の衣装が洗練されてて、とてもステキだった👗

グレーの柔らかいローブのような羽織(軽いシルクで裾の長いカーディガン風)に、
黒やトーンの違うグレーのドレスを合わせていて、上品だった。


マネージメント会社のHPより


それにしても「彼方の世界」の音楽だったなぁ…。

しかし彼らはそういう世界の住人なんだ。
しかも、それは彼らの持つ多彩な音楽観の一つに過ぎない。

東京ではまったく別のプログラムだもんな。

音楽に携わるものとして、
ああいう特別(に繊細)な世界観を創り出す人たちへの畏敬と感謝の念を、
大切にしたい。

私がレッスンでうるさいのも、そういう方向への憧れが強いのだと思います。

憧れ求めることは、時に苦しい。
でも憧れも求めることもしない音には
何も宿らないのだと肝に銘じよう。

自分の本番まで、またひと調整。
応援して下さる方々のために、せめて誠実な準備を重ねようと思う。

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