初秋の宵「たそかれとき」という催しにうかがった。(@スペース大原 / 多治見市)
陽は昇り、沈む。
毎日繰り返される自然の摂理。
その狭間にある「たそかれのとき」に
クラヴィコードという楽器を聴く夕べ。
楽器の起源は13世紀に遡ると言う。
演者は内田輝氏。
誰かに聴いてもらうことを前提としないらしく、
音量的にはチェンバロよりもっと小さい。
繊細な音色ながらビブラートや抑揚も付けられる、
とても魅力的な楽器だと知った。
楽器は演者内田氏の自作。
クルミ×マツを素材とした第1作目のものと、
修復中の清水寺の廃材を貰い受けて製作されたという、ヒノキ素材の もの。
そう言えば、何年か前アテンドで清水寺に行った時、
そのことも今日に繋がる伏線。
18時を過ぎ陽の沈む頃、会は始まった。
まだ薄明かりで、物の輪郭はぼんやりしていた。
演奏の始まる5分ほどの間その薄明かりの中に身を置くと、
静けさは際立ち、
セミや秋の虫たちの声、樹々が風にさざめく音など‥
「そこに在る音」 とのアクセスがよりシンプルになって、耳が澄んでくる。
自然に囲まれたスペース大原さんの立地も、
このサウンドスケープ(=音の風景)を豊かなものにしている。
演奏は確か5曲、1時間強。
全て内田氏の即興演奏。
クラヴィコードと自然の音との共奏は、なんとも繊細で心地良い。
たまたま通りかかった車や飛行機の音も
「そこに生まれた音」 として受け入れ、お相手された。
時と共に暗がりが増していく。光と影のフチ。
外の音(自然の音)と 内の音(クラヴィコードの音)。
時間も空間も、その境目にいるようで、
それは素晴らしい体験だった。
多分、奏者はこの狭間に在る時空の繊細な移ろいを、生と死が行き交う機会として捉え、
『祈り』に替えている、 と言うようなことを仰りたかったのかもしれない。
終演の頃には陽は完全に沈んで、
暗がりと静寂の余韻。
眠気のまどろみは潜在意識にアクセスする、と聞いたことがあるがはたして?
「暗」や「闇」という文字にあるように、
暗がりの中において「 音」に対する感覚はひたすら澄んでいく。
同時に心は鎮まっていく。
ノイズや刺激にさらされた、 現代人の無自覚な耳を思わずにいられない。
音響という点では究極的に引き算されたクラヴィコードと内田氏の世界。
こんなに静かな演奏会は、ジョン・ケージの”4分33秒”以来。
「聴く以上の何か」を体験したと言うより他ない。
不思議なことではないが、この晩は深く眠れたことも記しておきたい。
~追記~
企画の地奏プロジェクトさん、会場のスペース大原さん、
光の演出をされた新里明士氏、
トリートのコクウ珈琲とミモザさん
お弁当のhoshizumi さん。
お客さんの感度も素晴らしくて。
多治見、ちょっと凄過ぎやしませんかっ!!
静かなコーフンの連続でした。ブラボー!!
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