2014年11月24日月曜日

Lauterbrunnen

スイスのラウターブルンネン

氷河に削られてできた、U字の谷に位置する村。
ドイツの文豪ゲーテが、作品を執筆していた場所。

地名の意味は、「音の鳴り響く泉」。
twitter より

ラウターブルンネン

こんなところで、笛、吹いてみたいな。

2014年11月15日土曜日

フルートの可能性

ある日、生徒のAちゃんが「先生~、私尺八習おうと思うんですけど!」と言いました。

西洋のフルート奏者の中には、尺八そのものを習ったり、フルートの拡張奏法の一つとして尺八を真似たりする人も少なくありません。

中でも、この分野において圧倒的なパフォーマンス力を持つ、この方を思い出しました。

Wil Offermans - ウィル オッフェルマンズ さん。

フルートのいわゆる『現代奏法(拡張奏法)』を駆使し、オリジナルのフルート曲を創作されています。奥様は、薩摩琵琶奏者の上田純子さん。

先ずは、元々尺八の曲である「鶴の巣籠り」を紹介します。
オッフェルマンズさん自身がフルート用に書き下ろした作品です。




怪演」…(笑)ー東フィル・斎藤和志さんのお言葉です。

だってそうでしょう?
ここでは私たちが普段吹いている、一般的なフルートの音色はほとんど使われていません。

西洋的な美しさとはむしろ対極にある、押し殺したような音色(=バンブートーン)やはみ出したような音色(=ウィンドトーン)。西洋音楽には無い音程感覚や、ヴィヴラート幅の多様さ。日本音楽独特の「間」という、緊張感をはらんだ時空。

…このような拡張奏法を用いることによって、西洋→東洋という文化の枠を易々と飛び越えてしまいました。

単に「尺八を真似ている」と、私は思いません。

なぜなら、このような特殊な奏法を「音響の素材」として切り貼り(=コピペ)したのではなく、日本音楽における哲学や美学への深い理解と鋭い感受をもって、このような演奏を可能にしているからです。


もう1曲は『Ilios(=イリオス)』
ギリシア神話に出てくる架空の都市だそうです。



「怪演」

この演奏には以下のような、「拡張奏法」が用いられています。


○ウインドトーン (呼吸をエッジの外側に散らした、尺八のような音)

○ハーモニクス (倍音奏法)
○差音 (本来の音階には無い微分音程。西洋音楽ではしばしばノイズとされる音程)
○バンブートーン (特殊な運指によって、音色の輝きを消す)
○マルチフォニックス (重音奏法。倍音を利用して、同時に2つの音を吹く奏法)
○ウィスパートーン (ささやくようにかすかな、口笛のような音)
○声とフルート
○循環呼吸


これらは音響的な「効果」として面白いばかりでなく、音楽そのものの在り方として多彩であり、豊かです。

この曲は、20年ほど前には録音済だったと記憶しています。



…いかがでしたか?(^o^)/

普段私たちが目指しているフルートの音色は、余計なものをそぎ落とし、音響の核に迫っていくイメージがあります。一方、上記のような「拡張奏法」は、先ほど述べた「音響の核」からまさに「拡張」された音の世界だと言えましょう。

オッフェルマンズさんは、創作の着想を、世界各地に有す「民族音楽」から得ることも多いようです。

ある意味「型」の中に収めていく西洋音楽の美学とは別に、「そうじゃなくても良いんじゃない?」「そうじゃなくても面白いんじゃない?」という、視点があると思います。

このようにさまざまな意味で異なった音響文化を、フルート1本で飛び越えてしまう、オッフェルマンズさん。

そして私たちが日々手にしているフルートの可能性について、改めて思い起こしたのです。


【関連記事】

フルート教室のご案内 http://klangjapan467.blogspot.jp/p/blog-page.html



2014年11月9日日曜日

聖夜の星矢

乾いた空気に、雨の雫が心地良いです。

7月の工藤重典さん、11月の工藤さん+高木綾子さんに続いて、12月にもステキなフルーティストが岐阜市のサラマンカホールへいらっしゃいます。ええがね、サラマンカ♪
上野 星矢 さん
ヨーロッパでも大活躍中の上野星矢さん。折しも今日、 『2014 Young Concert Artists International Auditions』という若い奏者を発掘するオーディションで、6人の勝者のうちの1人になった、というニュースが飛び込んできました。

木・金管ではただ1人の受賞。アメリカで少なくとも3年間、コンサートをマネージされるという副賞がついているようなので、これからは日本とヨーロッパのみならず、アメリカも彼の活動の範囲になる、ということですね。

そんな未来ある上野さんが、サラマンカのワンコイン、500円シリーズに登場です。 (ホールの企画に感謝♪)

上野さんの演奏は、名フィルとコリリアーノの「ハーメルンの笛吹き」を聴いた印象が鮮烈に残っています。この曲は、一般的なコンチェルトのスタイルではなく、題材を反映したストーリーや演技が一体になっています。(共演した子ネズミちゃん達のフルートもかわゆかったなぁ。)

とにかく、現代曲としての技術も難解でしたが、一音一音明確で、非常に魅了されました。

以来、名古屋でのリサイタルを、数回聴かせて頂いています。若者らしくスピード感があり、色々な意味で年齢相応の刹那的な演奏であるとも思いました。

チラシよりも実物の方が、ずーーっとシャルマ~ン(=チャーミング)な方です。

3歳から入場できる貴重なコンサートですが、いつものワンコインのシリーズより、しっかりとしたレパートリーが入っている気がします。

ドビュッシーを皮切りに、1900年代の作品が並んでいます。ドビュッシーの「シリンクス」は「魔法の笛」という意味ですが、ピアノ伴奏のないソロ曲ですから、サラマンカホールの素晴らしい響きや空間を、どのように使ってマジックをかけるのか、楽しみです。

Youtubeには「デジタルバード組曲」の抜粋がありましたので、参考にどうぞ。「現代曲~」と恐れるほど、聴く分には難解ではありません。むしろ、デジタルにバチーっと合っていて、カッコイイですね。


上野さんは、吹奏学部に入部しておられたとかで、このことをフルート体験の原点としていらっしゃるようです。毎日ルーティンのようにして部活動を行うよりも、たった1日部活をお休みしても、このような演奏を聴く事は、後々豊かな指針となるはず。

部活動でフルートを吹いている子は多いはずなのに、岐阜での演奏会で、制服組はほとんど会場に見られません。(浜松辺りだと、制服組をよく見かけます。さすが楽器製造のおひざ元だなと思います。)

その上野さん、3rdアルバムを出されるのだとか。J-Popのカヴァーだそうです。

「言葉をフルートで表現するためのアーティキュレーションにかけた時間、はっきり言ってバロックのフルートソナタと同じくらい研究しました。生半可な気持ちでカヴァーはしません。」

音楽の素晴らしさを伝えるのにジャンルを飛び越え、しかもポップスを吹くにも真摯な熟考があり、素晴らしい心意気だと思います。何より、彼の歌心は音楽への真心と通じていて、説得力があります。

前売りがすでに始まっていますので、どうぞお出かけ下さい♪ 

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サラマンカ500シリーズ~上質な音楽を気軽に~
聖夜は、セイヤで。家族で楽しめるクリスマスコンサート



フルート/上野 星矢  ピアノ/内門 卓也
まるで、べつの星からやってきたようなフルーティスト。
その音は、きくものの心を射る矢のようです。

ランパル国際フルートコンクール優勝。
アルバム『万華響』、『DIGITAL BIRD SUITE』が『レコードアカデミー』連続受賞。
クラシック、現代音楽、ポップスというジャンルにこだわらない「わかりやすさ」と「通好みの音楽性」、
まさに新時代の音楽家の登場です。
【同日開催】 無料・チケットレス 0歳からOK!
2014年12月23日(火・祝)14:00開演(13:30開場)
※3歳からお楽しみいただけます。

【プログラム】

ドビュッシー:シリンクス
吉松隆:《デジタルバード組曲》より 鳥恐怖症、夕暮れの鳥、鳥回路
ゲイリー・ショッカー:後悔と決断
ジョリヴェ:リノスの歌
松任谷由美:海を見ていた午後
辛島美登里:サイレント・イブ  ほか
※プログラムは変更される場合がございます。

【関連記事】上野聖矢 FLコンサート @サラマンカホールhttp://klangjapan467.blogspot.jp/2014/12/fl.html


2014年11月6日木曜日

ロングトーンのススメ ①

言うまでもなく、フルートは自分で音を作る楽器なので、曲やエチュード、音階や分散和音と言った技術練習とは別に、音作りの練習が欠かせない楽器です。

それが「ロングトーン」の練習です。
文字通り長い音を保持する練習であり、音程・強弱・明度・ヴィブラートなど、音に関する様々なニュアンスを作っていく、練習方法の一つです。



白状すると、私はこのロングトーンの練習を、ある時期全く不毛に感じていたことがありました。
フルートを初めて、ン十年も経つというのに、「またこの練習か!」とウンザリし、多大な忍耐を要した時期があったからです。

加えて、例えばエレクトーンのように、作音自体が電気信号であり、吹き手の調子によって出来不出来のない楽器が、心底うらやましく感じたこともありました。

ただ、折に触れていつも思うのです。
「ロングトーンの練習は裏ぎらないなぁ」、と。
音楽をする上で、最も大切な土台になってくれているなぁ、と。



ただ必要性は分かっていても、モチベーションが湧かない…。



そんな時期に出会ったのが、先のブログに述べたクリス・ボッティというジャズ・トランペット奏者の一言。

「朝起きてヨガをするように、(ロングトーンを通して)自分の身体の声を聴く」

Chris Botti
なるほど、私たちの心身は、毎日状態が違います。
そのことは、呼吸にも表れてきます。
「違って良いのだ」→「違っているなら整えよう」
そんな意識が芽生えたのです。

ましてや、クリス・ボッティのあれほどまでに良くコントロールされた、美しい音色を持つ人の習慣ならば、傾聴に値すると思いました。



そして更なるモチベーションのきっかけは、夕方のニュースで見た、新潟で最高級の爪ヤスリを製造する、90歳の女性職人のレポートでした。爪ヤスリの目を立てるという作業を、来る日も来る日も続けていて、その品質は若い職人には真似ができないというのです。

同じ作業を毎日繰り返す中で、研ぎ澄まされた感覚を刻み、その感覚を蓄積させていったのでしょう。この方の在りようも、私たちと同じではないか、と。

90歳の爪ヤスリ職人さん

音作りの代表的な教材にマルセル・モイーズの『ソノリテ』がありますが、大事なのは「何を」練習するかというより、「どのように」練習するか、です。



ロングトーンを何の理想もなく、何の考えもなく、何の観察もなく行うことほど無駄なことはありません。長く保つ1音の中にも、様々な観点でその音を、・・・ひいては演奏を実現する自身の身体を見つめる事は、とても面白いものだ、とこの頃は思えるようになりました。

この練習をした後は、神経伝達がスムーズになり、脳と呼吸・唇・指などの回路がより良く繋がったと感じることができます。もちろん、その後に行う技術練習を持って、それらが統合された感覚はより確固なものとなります。



折しも、先日NHKの『プロフェッショナル』という番組で、ヴァイオリニストの五嶋みどりさんがフォーカスされていました。
世界的ヴァイオリニストである五嶋さんが、毎朝1時間のロングトーンを欠かさない、というのです。一音一音、響き、弓の運び、音程感、ヴィヴラートをチェックしている様子が映し出されました。またこの練習によって、微妙な音色を聴き出す「耳」の可能性を探っているようでもありました。

Midori

五嶋さんの音楽家としての姿は、さながら求道者、或いは修道女のようにも見えて、正直息が詰まるほどでした。

ただ、彼女の求める音楽性と、それを実現する高い技術の統合は、このようなベーシックな事から繋がっているのですね。そして、ある年齢から生じ始める神経伝達の齟齬をつなぎ止めようと、このような練習を欠かさない訳が、私にもよく分かる気がしました。

ロングトーンについては、またお話しする時があるだろうと思います。
今日は、そこに向かうまでの、気持ちの持ちようについてのお話しでした。


【関連ブログ】
アンビヴァレント
自然体の作り方
ジャン・フェランディス公開レッスン


2014年11月1日土曜日

朗読会へ

今日は朗読会に足を運んでみました。
生徒のSさんが参加しておられるのです。


初めて「朗読会」なるものの存在を知ったのは、ドイツにおいてでした。詩や文学作品などを、朗読を通して味わう、というものです。ただ在独当時、ドイツ語でのそれは少しハードルが高いように思われて、体験する機会を逃してしまっていたのです。

今日は「華岡青洲の妻(有吉佐和子)」といった硬派な文芸作品から、庶民の生活の中に人間の心の襞を写し取った「かわうそ(向田邦子)」、方言で味わう「かっぱのよめっこ」や古典落語の「七度狐」という、大変バラエティに富む内容で、とても愉しめました。

朗読会 演目


「華岡青洲の妻」が始まった時、お客さんの気が静まって、一言一句、高度に集中している様子が伝わってきました。並みの音楽会より、密度の高い集中力です。音楽におけるある種の抽象性と、言葉の具体性。聴き手のキャッチの仕方が異なるようです。

聞くところによると、朗読をする人はお客さんの方を見てはいけない、とか。これは朗読者本人の「個」を滅して、作品そのものを際立たせようということだと理解しています。

音楽をする者も、本来は同じ境地だと思います。(目線に関しては、また別の考え方ですが)「オレ、オレ」と主張する個性よりも、引き算してなお滲み出る個性のあり方を、私はより尊いと感じます。何より、作品が主役なのです。



Sさんは、朗読とフルートを吹く事は似ている、と仰います。

呼吸だとか、支えだとか、音響に直接的に関わってくることもそうですし、文章を「単語からフレーズに」流れをまとめていく、ということにも、類似性を感じるそうです。

分野が違っても、共通する真理を見出すこと。これって人生の喜びの一つだな、と思うのです。

Sさんの他にも何人か、お話が「見えて」くる読み手がいらっしゃいました。登場人物のキャラクターだったり、情景描写だったり、季節だったり、温度だったり、そのお話しが立体的に想像されるのです。素晴らしい体験でした。

「美幸会」という朗読会の皆さんの真摯な取り組みは、人間の良心そのものだという気がします。良い勉強をさせて頂きました。そして何より、一人の聴衆として愉しませて頂きました。
 
 
【関連記事】
 
「葉っぱのフレディ」プロジェクト http://klangjapan467.blogspot.jp/2015/06/blog-post_12.html