それが「ロングトーン」の練習です。
文字通り長い音を保持する練習であり、音程・強弱・明度・ヴィブラートなど、音に関する様々なニュアンスを作っていく、練習方法の一つです。
白状すると、私はこのロングトーンの練習を、ある時期全く不毛に感じていたことがありました。
フルートを初めて、ン十年も経つというのに、「またこの練習か!」とウンザリし、多大な忍耐を要した時期があったからです。
加えて、例えばエレクトーンのように、作音自体が電気信号であり、吹き手の調子によって出来不出来のない楽器が、心底うらやましく感じたこともありました。
ただ、折に触れていつも思うのです。
「ロングトーンの練習は裏ぎらないなぁ」、と。
音楽をする上で、最も大切な土台になってくれているなぁ、と。
ただ必要性は分かっていても、モチベーションが湧かない…。
そんな時期に出会ったのが、先のブログに述べたクリス・ボッティというジャズ・トランペット奏者の一言。
「朝起きてヨガをするように、(ロングトーンを通して)自分の身体の声を聴く」
Chris Botti |
そのことは、呼吸にも表れてきます。
「違って良いのだ」→「違っているなら整えよう」
そんな意識が芽生えたのです。
ましてや、クリス・ボッティのあれほどまでに良くコントロールされた、美しい音色を持つ人の習慣ならば、傾聴に値すると思いました。
そして更なるモチベーションのきっかけは、夕方のニュースで見た、新潟で最高級の爪ヤスリを製造する、90歳の女性職人のレポートでした。爪ヤスリの目を立てるという作業を、来る日も来る日も続けていて、その品質は若い職人には真似ができないというのです。
同じ作業を毎日繰り返す中で、研ぎ澄まされた感覚を刻み、その感覚を蓄積させていったのでしょう。この方の在りようも、私たちと同じではないか、と。
90歳の爪ヤスリ職人さん |
音作りの代表的な教材にマルセル・モイーズの『ソノリテ』がありますが、大事なのは「何を」練習するかというより、「どのように」練習するか、です。
ロングトーンを何の理想もなく、何の考えもなく、何の観察もなく行うことほど無駄なことはありません。長く保つ1音の中にも、様々な観点でその音を、・・・ひいては演奏を実現する自身の身体を見つめる事は、とても面白いものだ、とこの頃は思えるようになりました。
この練習をした後は、神経伝達がスムーズになり、脳と呼吸・唇・指などの回路がより良く繋がったと感じることができます。もちろん、その後に行う技術練習を持って、それらが統合された感覚はより確固なものとなります。
折しも、先日NHKの『プロフェッショナル』という番組で、ヴァイオリニストの五嶋みどりさんがフォーカスされていました。
世界的ヴァイオリニストである五嶋さんが、毎朝1時間のロングトーンを欠かさない、というのです。一音一音、響き、弓の運び、音程感、ヴィヴラートをチェックしている様子が映し出されました。またこの練習によって、微妙な音色を聴き出す「耳」の可能性を探っているようでもありました。
Midori |
五嶋さんの音楽家としての姿は、さながら求道者、或いは修道女のようにも見えて、正直息が詰まるほどでした。
ただ、彼女の求める音楽性と、それを実現する高い技術の統合は、このようなベーシックな事から繋がっているのですね。そして、ある年齢から生じ始める神経伝達の齟齬をつなぎ止めようと、このような練習を欠かさない訳が、私にもよく分かる気がしました。
ロングトーンについては、またお話しする時があるだろうと思います。
今日は、そこに向かうまでの、気持ちの持ちようについてのお話しでした。
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