2016年4月3日日曜日

ホールの神さま / フレディ終演

桜の花も満開!
そんな4月の日曜日、アンサンブル クラングは、『葉っぱのフレディ』を再演させて頂く機会に恵まれました。

個人的なことを申せば、私の恩人でありセカンドマザーと慕う、野口先生のお教室の発表会で、ゲスト演奏をさせて頂けたのです。

野口先生は、長い学生生活で地元を離れていて活動の基盤が無い私に、指揮者の先生をご紹介下さったり、演奏の場を提供して下さった、私にとってはかけがえのない方。

会場は、サラマンカホール。
音楽をする者として望み得る、最高の環境。
文字通り「有り難い」ことでした。

下手の壁にはサインがずらり。右下の人…だれー?笑

ところが、そんな立派な機会に恵まれながら
実のところ、数日前の最後の練習まで「埋まりきっていない」感じ、「音楽が凝縮していない」感じがしていました。
当日のリハが終わってもそうでした。


「さて、どうしたもんか…?」

笛吹き、ーいえすべての管楽器奏者においては、

人間が生物として必要な呼吸と
楽器を鳴らすために必要な呼吸
音楽を表現するための呼吸

これらが複雑に関係し合っています。

…私たちの笛の響き、ひいては音楽の源である『呼吸』は、楽器を鳴らすためだけにあるのではない。

『呼吸』そのものに喜びや希望、落胆や孤独に対する共感、そして最終的には「祈り」が含まれているべきじゃないか?
そのことがフレディのストーリーに宿る「いのち」を表す術なんじゃないか?

本番前のアップの時、そんなことを投げかけてみました。


そして迎えた本番。
演奏しながら、何か特別なものが下りてきてるなぁ、と感じていました。
会場のざわめきが静まっていきます。

同じ方向を向いた仲間と高い密度で組み合い、一緒に音楽をすることの、この上ない喜び。
そしてそこから現れた音楽を共にして下さった、お客さんとのつながり。

ホールの神さまにも手伝ってもらったなぁ…と感じていますが、
この実感をこれからも大切にしていきたいです。
そしてこれが常であって欲しいと、欲張ってしまいます (^^ゞ


…とにかく
「これを聴いてもらいたかったんだ」って思えた本番。

誰よりも、…野口先生に。
彼女自身が、いのちを振り絞って遂げた会だったから。


最後になりましたが、改めてこのような特別な機会を与えて頂き、野口先生には重ねて御礼申し上げます。

それから、私たちのフレディを通じ「音楽と言葉」を受け止めて下さった生徒さんたち、ご父兄の皆さま、ありがとうございました。
皆さんたちこそ独りで舞台に上がる勇気は素晴らしかったし、「ボレロ」の合奏も楽しかったです♪

共演の野寺さん、井下さん、お2人の共演なしでは成立しませんでした。ありがとうございました。


【関連記事】

葉っぱのフレディ プロジェクト
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ご来場ありがとうございました / 葉っぱのフレディ
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月とシエラ
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2 件のコメント:

  1. 葉っぱのフレディの話を模して、発表会について考えてみました。

    私たちは、人間ととしては同じような性質を持ってはいますが、
    それぞれに個性があり、特にフルートにおいては一人として同じ音の人ははいません。
    そんな私たちをまとめあげていろいろ教えてくれる先生がいます。
    もっと寄り合って、美しい音楽をしようよ。
    それを聞いて、私は一緒に演奏できてよかったなと思うようになりました。
    発表会では、先生に教えてもらったように、でも少し失敗しながら、
    フルートやピアノ、朗読で、聴いてくださる方に一生懸命想いを伝えました。、
    これも私たちの仕事なんだよ。
    けれど楽しかった時間は駆け足で過ぎていきました。
    もう一度、と思っても過ぎた時間は戻ってはきません。
    しかし、私たちが奏でた音楽、朗読は、自分たちの心の中のみならず
    聴いた人の心に末永く生き続けていき、何らかの種を生み出すのです。
     (H.A)

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    1. 感服… m(__)m

      フルートを通じて、また音楽を通じてお互いに関わり、伝え合っていける音楽仲間やお客さまがあるということをいつも嬉しく思っています。このような活動に、いつも有意義で温かい視点を注いでくださるAさんにも感謝♪

      「美しい」ことが最終目的というわけではないのですが、「足並みを揃え、フォルムを整える意識」は欠かすことができません。そのことは「伝える」にあたっての目的というより、「手段」だと思うのです。

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