2019年5月26日日曜日

闇と暗 そこに在る音

私の佳き友人が館長を務める
犬山市の岩田洗心館の設立50周年の記念イベントで、演奏をさせて頂きました。

長年に渡り洗心館とご縁のあった方々と共に、
音楽をその一つの趣向として分かち合えたことを、大変光栄に思います。


今回のお話しを頂いた時から、何もかもを自由にさせて下さるとのことで、
「光と闇」というテーマでプログラムを組んでみたい、という思いがありました。
洗心館は建築としての陰影の印象が強く、訪れるたびに心地良く思っていたからです。

そのことに加え、おそらく誰もが持っている心象としての光と闇の感覚を、音楽の世界になぞらえてみたい、と思ったのです。


人にとって、生きていくためにどのくらいの「光量」を心地よく感じるかは、人それぞれ。

そんなことを考えている時に、
さとうゆうすけさんの絵本「ノロウェイの黒牛」の世界観に共感と勇気を得て、今回のコンセプトのヒントにさせて頂きました。

(さとうさんは私の名刺をデザインして下さった方ですが、
それについてはまた改めて記したく思います。)

PCではクリックで拡大します

今回、演奏会の副題を
『闇と暗 そこに在る音』としていて、
眩しく光が射す希望の世界というよりは、むしろその逆の世界を率直に見つめてみたいと考えていました。

現実の生活にあって、人は様々な感情の中で生きていて、
例えば…孤独のさみしさや、失った者への思慕、充たされないことの苛立ち…等

普段は表立って言い表せないような感情が、きっと誰の奥底にもあることでしょう。
普段は理性というヴェールに覆われているだけで。

言葉にするとやけにナマナマしいですが、
音楽の中では、それらの感情がなんと美しく昇華されているのかと驚かされます。

『水の精 ウンディーヌ』などは、まさにそういう曲だと思います。


結局のところ、人は複合的な思いをかかえつつも、やはり光の方へ向かうようにできているのかな、と思えたことは大きな救いでした。

各人に適した「光量」というものはあるけれど、いずれにせよ音楽という型(フォルム)は、光の方を向いているのだ、という実感を得ることが出来ました。

「闇」と「暗」
その文字の中に在る「音」!

暗がりの中において音は純化され、冴えわたる…。(漢字ってスゴイっ!)
そして暗がりにいる時も、音は光の方へ導いてくれる。

今回の本番を踏むにあたって考えた一連のことです。

月とシエラ冒頭 / リハ中ボイスメモで撮ったので、かなりこもってます

一線のプロの方々には及ばない演奏だとは自覚していますし、
無傷な演奏ができたわけではありませんでしたが、
かけて頂けたお客様のお言葉には、大変報われる思いがしました。

集まっている方々はとにかくユニーク(美術評論家や建築家、陶芸家etc.)で、確固とした自分の世界を持っていらっしゃる方々ばかり。
すごく刺激的な会でした!

長くなってしまいましたが、最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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