5/4の時点では抗えない措置だったと思うけれど、
一地方の現状とそぐわなくなってもきています。
国に対して盲目的に判断を委ねる時期は去り、
ある程度は個人の皮膚感覚というものも大切にしたいと思えるほど、
コロナにまつわる現状…あくまで個人的な活動の範囲においては
明るいきざしが見えてきました。
もちろん、各々の環境によって置かれた状況は違うから、
それをどう判断するかは個人のものだけれど、
大切なのは、状況に対する「感覚を磨く」ということ。
十分な用心をしながらも、そろそろ「目を覚ます」時は近づいているように思います。
庭のみかんの花がとっても良い匂い |
連休中、敬愛するフルート奏者の友人とやり取りする中で、
心理学の大家でフルートもライフワークとしていた
河合隼雄さんのエッセイを紹介してくれました。
フルートを習楽している人には
この楽器特有の「高音問題」がどのようなものか、ピンとくるでしょう?
3オクターブ目になると、キンキンしたりフワフワしたりする…あの現象です。
河合氏が述べるに…
≪音が高く上がっていくときには、体の感じは逆にむしろおなかの下の方に下がっていって、それを支えるようにならないと駄目なのである。(注略)音が高くなるに従って、体の支えの方は下に向かっていく。言うならば、音にならない低い音が高い音を支えているような感じになるのだ。≫ ~「河合隼雄の幸福論」 より 音のない音 抜粋
レッスンでも常々お伝えしていることであり、
伝わっていれば良いなぁと思うことのひとつです。
人間の心理を専門とされている河合氏は、さらに続けます。
≪人間の幸福というものもこのようなものだろう。幸福の絶頂にあるようなときでも、それに対して深い悲しみ、という支えがなかったら、それは浅薄なものになってしまう。幸福だけ、ということはない。(注略)フルートの高音が良い音色であるためには、音のない音がそれを支えているように、幸福というものも、たとえ他人にはそれだけしか見えないにしても、それが厚みをもつためには、悲しみによって支えられていなくてはならない。≫
満開のシラン。うつむくように咲く姿は、雨の雫も涙のよう |
そんなエッセイでした。
コロナ禍を経て、音楽にまつわる状況はどうなっていくのだろう?
まぁ、自分のコントロールの及ばないことは考え込んでもしょうがない。
先ずはゆっくりと、生徒さん達と個々の愉しみを取り戻していこうと思います。
ただ、私にとってこの時期は貴重な時間でもありました。
レッスンのためでなく
練習という気負いもなく
誰のためでもなく
自分のために吹く時間が持てたので。
また新たなフェーズが始まろうとしています。
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