2014年10月27日月曜日

ミニ ライブ

一昨日、本番がありました。今風にいうと、インストア ライブというのでしょうか。
何のことはない、講師を務める楽器店の軒先で行った、ミニライブですけども。




今日の共演は、ジャズがご専門の方々。ジャズ界のカリスマ、菊地康正氏ともライブ経験があるというお二人。

なにしろ、当日になるまで完成形が見えなかった(=ベースのTさんとは、当日初めて合わせた)ので、スリル満点。
ただ音楽人の呼吸は、ジャンルが違っても、ある程度は相通じるもので、愉しいひと時でした♪

とは言え、私自身は本格的なジャズのインプロヴァイズ(=即興演奏)を奏するには至らず、その方法を体系的に学ぶことへの興味も出てきました。



「その瞬間の中に起こる、新鮮なひらめき」がジャズの最大の魅力だと思います。

先のブログで書いた、トリフォノフの演奏が「即興性に溢れている」と言われているのも、こういった瞬間のひらめきを大切にしているからです。(彼の場合、練習の段階で様々な音楽表現の手数を試し、本番でコレだ!と思うものを選んでいるようです。)

クラシック音楽には、無意識の隙間がないほど、一瞬一瞬に音楽的意図が隠れています。しかもそれらを大きな流れの中で統合し、その連なりがあたかも自然であるように形作って行くという側面があると思います。

私見ですけれども、ジャズはそれほどの意図的密度を感じさせません。ジャズにある種の浮遊感や脱力感を感じるのはそういう訳かもしれません。一方で、即興演奏においては格別の覚醒感や開放感があり、そこには素敵なスパイスが散りばめられています。その対比がジャズの面白いところではないかと感じています。



・・・今日はお客さまの中に、とりわけにこやかに聴いて下さった方がいらっしゃって、励まされました。菊地康正さんにジャズフルートを習っておられる、という方でした。どんなレッスンなのか、興味津々。ぜひお話をうかがってみたいと思っています。

早速体験レッスンの申し込みもあり、良かった、良かった。


【お詫びと訂正】
文中、菊地康生さんを菊地成孔さんと勘違いしておりました。
全然違うやないかい!というノリツッコミと共に、11月吉日、訂正致しました。
伏してお詫び申し上げます。


2014年10月20日月曜日

ベートーヴェン Haribo

外はしばらくぶりの雨。

トリフォノフの音楽の余韻が、生活の端々に残る一週間でした。

生徒のSさんは、ゲルギエフ+マイリンスキーの名古屋公演に足を運ばれ、トリフォノフのチャイコンを堪能なさったとか。ソロリサイタルとはまた違った魅力を放ったことでしょう。

そのSさんと、こんな事を話しました。…例えば、一瞬を切り取る絵画の世界とは違って、音楽は時間の流れがあり、その中で多様な移ろいがあるせいか、その楽しみは持続的であり、心を一層豊かにしてくれますね、と。



ところで、全く話しは変わりますが…
このお菓子、見たことありますか?

ドイツの Haribo ハリボと言う、グミのお菓子。日本では、クマの型をしているものをよく見かけます。
















このハリボの本社は、ドイツのボンという街にあり、ご当地ハリボがあるそうなのです。ボンと言えば…


あはは。畏れ多くて食べられません。
真っ赤なベートーヴェン、炎の人と言われるイメージによく合っています。




黄色いのは、若干ハイドンに見えなくもありませんが、これも『The B』です。




青はほとんど判別不能(笑)アンタ誰?状態。
しかも青ざめたベートーヴェンなんて、らしくありません。

ボン大学に通っていた友人から貰った、おみやげでした。
子供たちに人気の、極めて日常的なお菓子に、こんな楽聖が使われるところがドイツらしいなぁと思います。


これから一雨ごとに秋が深まります。この頃は日中の寒暖差も大きいので、皆さんどうぞご自愛下さいね。

 
追伸:
サポート終了後も使い続けていた Windows XP が、半年を経て完全に機能しなくなり、しばらくは携帯やタブレットからの更新になりそうです。

2014年10月11日土曜日

ダニール トリフォノフ 2014 神戸

「行くべきか」「行かざるべきか」ずっと悩んでいた、ダニール・トリフォノフのピアノリサイタル神戸公演。前日になって「行ってまえ~」となって、神戸文化ホールへ向かいました。神戸国際フルートコンクールにおいて、数々のフルーティスト達を輩出してきた、あの会場と同じ。

この会場は昭和レトロの雰囲気を残しています。ホールはドライ(=残響がほとんどない)な印象です。

神戸文化ホール

トリフォノフを最初に知ったのは、2010年のショパンコンクール。ポーランド人の友人、マレク・ブラハが出場していたので、しばしばネット中継を見ていました。その時、トリフォノフは本選で3位になりましたが、予選の時からとびきり美しい音色と、「ショパンの再来」と言われるほど豊かで直感的な音楽性が際立っていて、トリコになってしまったのです。(その後、ルービンシュタイン、チャイコフスキー両コンクールで1位となっています。)


Daniil Trifonov


そのコンクールで聴いたショパンのコンチェルト1番 / 第2楽章は、私の葬儀に使いたいと思っているほどです。この映像がまさにそれ。ショパン20歳の作品、トリフォノフは19歳でした。




…それ以降、3回目の演奏会。上の映像よりも一段と進化(=深化)した、23歳。

予約時「最前列正面、空いてます。」の一言に惹かれ、今回はミーちゃんになることに。だから本当に「観た」のです。マジマジと、目の前で。



心に深く残ったのは、ベートーヴェンの晩年、最後のピアノソナタになった32番。
こちらのサイトに、作品に関して興味深い事が書かれています。以下抜粋。)

仏教に「解脱」(げだつ)という言葉がある。

解脱とは「束縛から離脱して自由になること。現世の苦悩から解放されて絶対自由の境地に達すること。涅槃(ねはん)」とあるが、これが「ベートーヴェンの到達した境地に近いのではあるまいか。」

トリフォノフの演奏も、まさにそのような解釈であり、演奏だったと感じます。全ての苦悩から解放され天に昇っていく様が見えたからです。涙が溢れました。このような境地を示すことのできる、23歳。一生聴き続けたい…私にとっては、そんな音楽家です。



…後半のリスト。何度も何度もさらってきたはずなのに、今そこで生まれたかのような、新鮮な一瞬一瞬を立ち上げます。表情や呼吸などを間近で見ると、彼の肉体や精神のありようが、どんなにその「一瞬」にかけているか、感じられました。だからこそ、足を運んでライブを聴けた喜びは、ひとしおでした。

その極限の集中力は、半ば「憑依」しているようにも映ったほどです。ただ以下のインタビューを読んでみると、その高度に集中した状態は、ヨガや瞑想、気功によって、鍛錬されていることがうかがえます。

本人曰く、「私たちピアニストも、自分の体と心……つまり音楽を創るための楽器を“調律”して本番に臨む必要があるのだと思います。」

http://www.japanarts.co.jp/blog/blog.php?id=1091

いやぁ、そうなんですけどね… how...!? どのように応用しているのか、興味深いところです。



帰り道、ホールから駅までの並木道を、ゆっくりと歩きました。いつも最高の幸福感を与えてくれるトリフォノフ、今度はいつ、どこで聴けるかな。

いつも長いブログになってしまいます。最後まで読んで下さって、ありがとうございました。

【プログラム】

バッハ/リスト編:幻想曲とフーガ ト短調 BMV.542  Bach / Liszt Fantasia and Fugue in G Minor, BWV 542

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 Op.111  Beethoven: Piano Sonata No.32 in C Minor, Op.111

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リスト: 超絶技巧練習曲より  Liszt: From Etudes d'exécution transcendante S.139/R.2b

 第1曲  ハ長調「プレリュード」 No.1, in C major, "Preludio"

 第8曲  ハ短調「荒野の狩」 No.8, in C minor, "Wilde Jagd"

 第3曲  ヘ長調「風景」 No.3, in F major, "Paysage"

 第4曲  ニ短調「マゼッパ」 No.4, in D minor, "Mazeppa"

 第5曲  変ロ長調「鬼火」 No.5, in B-flat major, "Feux follets"

 第2曲  イ短調 No.2, in A minor

 第9曲  変イ長調「回想」 No.9, in A-flat major, "Ricordanza"

 第10曲 ヘ短調 No.10, in F-minor

 第11曲 変ニ長調「夕べの調べ」 No.11, D-flat major, "Harmonies du soir"

 第12曲 変ロ短調「雪かき」 No.12, B-flat minor, "Chasse-neige"


トリフォノフ 2014 神戸 アンコール 19番も。

2014年10月8日水曜日

自然体のつくり方

私のレッスンでは、しばしば「身体と楽器の関係」について話題になります。フルートを吹く上で、とっても「効く」であろう本がありましたので、ご紹介します。

自然体のつくり方 - レスポンスする身体へ
斎藤孝著



Amazonのレビューなどでも紹介されていますが、私なりにまとめてみます。

一流のスポーツ選手・武道家・音楽家・舞踊家・また伝統文化を継承する大家の人たちは、共通して持っている身体感覚があります。それが「自然体」です。

この「自然体」が、各人の身体を通したパフォーマンス能力を、最大限発揮させます。


『自然体』とはなんでしょうか?

からだに中心軸が通っていて、安定感があり、リラックスしながらも覚醒しているような身体のありかた。単なる脱力の状態とは異なります。

そしてこのような状態は『上虚下実(じょうきょかじつ)』によって得る事が出来ます。


『上虚下実』とはなんでしょうか・・・?

上半身の力は抜けていて、下半身は地に足がついた力強さと粘り強さがある。臍下丹田(せいかたんでん)には力が入るが、みぞおちの力は抜けている状態のこと。


自然体からレスポンス(=反応)する身体へ

臍下丹田を中心にした呼吸、上虚下実の状態では、のど元やみぞおちがほぐれて、呼吸が深くなります。呼吸が深くなると余裕が生まれ、レスポンスしやすい体となります。(※注:つまり、楽器を吹く際に必要な神経伝達を、よりスムーズなものとするのです。それは各人の持っているポテンシャルを、より発揮しやすい身体となります。)


レスポンスが上手くいかない状態とは…?

硬くなっていたり、閉じていたり、鈍くなっていたりする状態のこと。身体のサインとして表れるのは「肩に力が入って力んでいる」「眉間にしわを寄せる」「のど元を締める」「みぞおちを固くする」「手首の力が抜けない」など、身体のあちこちに「ブロック」を作ってしまうことです。(※注:フルートの場合、これらの現象はのびやかな呼吸をさまたげ、指や舌への神経伝達を困難にします。)


精神への作用

上記のような身体感覚は、精神へも作用します。「集中力」「決断力」「行動力」を高めます。自然体とは(身体の)内側へのみの集中した状態ではなく、むしろ外側へ配慮する、開かれた構え、ということです。

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本の概要をお伝えするのは、なかなか難しい…。舌足らずな表現だとは思いますが、要点はお分かり頂けたでしょうか?

頭で理解すること、そして体が覚え、自動化することは、過程が違います。体は同じ事を継続しなければ、筋肉や神経に定着しません。それでも先ず「理解」の方向が違っていては、時間をロスするばかりです。

私は何人かの生徒さんと、上記の一部を試してみました。臍下丹田を源として、頭頂は天へ伸びゆくイメージです。(アゴは大地の方へ) 片足で立つなどすると、体の中心軸を持っているかどうか、更にはっきりします。このように得られた呼吸は非常に安定し、音にも生命が宿ります。

また小6のAちゃんは、この立ち方で音にキープ力がついただけでなく、集中力が増し、この頃はとても充実したレッスン内容になってきました。

子どものレッスンをしていると、全身がくねくねとして頼りなく、しっかり立つことすらおぼつかない子が少なくありません。当然呼吸の源も不安定で、音が決まらないのです。(一方で、子どもは自然を取り戻すのも早いのですが。)「しっかり立つ」という行為に対し、メンタルな作用が得られるというのは、興味深いところです。

余談ですが、吹奏楽の現場では、楽器を持つやいなや夏のコンクール用の難しい曲を与えられ、子供はそれをがむしゃらになってさらうので、どこもかしかも不自然で、無駄に緊張した奏法を身につけてしまうケースが見られます。このブロックを解くのは容易ではありません。

また大人も、身体の使い方のパターンに関して、長年の蓄積があるために、無くて七癖だなぁと感じる事があります。私自身にも言える事ですが、身体に対する客観性を保つ、(願わくば耳を通じて)身体と会話する、という感覚がとても大切です。


【関連記事】

ジャン・フェランディス 公開レッスン http://klangjapan467.blogspot.jp/2015/04/blog-post_10.html

高木綾子さん 公開レッスン http://klangjapan467.blogspot.jp/2014/12/blog-post.html

ロングトーンのススメ ①  http://klangjapan467.blogspot.jp/2014/11/blog-post_6.html 

フルート教室のご案内 http://klangjapan467.blogspot.jp/p/blog-page.html

2014年10月5日日曜日

Eternally

この週末は充実していましたよ。

『アンサンブル・ラロ(室内楽)』 大垣市 スイトピアセンター音楽堂
『アルゲリッチ、私こそ、音楽(映画)』 伏見ミリオン座
『五木寛之 講演会』 長良川国際会議場
『神田寛明 フルートリサイタル』 ドルチェ楽器 名古屋店

どの演目も大きな満足感があり、お腹いっぱーいです。


「アンサンブル・ラロ」

後半のブラームスが素晴らしかったです。日・墺・露・ラトヴィア・ルーマニアという多国籍なメンバーによる室内楽。同時に、帝都ウィーンの文化の拡がりを感じさせます。ピアノのダイアナ・ケトラー Diana Ketler さん、素晴らしい寄り添いやリードを聴かせてくれました。ウィーンの響きは、ドイツの音色よりも柔和で、また違った良さがあります。

Aちゃんが懸賞でこのコンサートのチケットを当てて、誘ってくれました。ありがとう♪

アンサンブル・ラロ

「アルゲリッチ、私こそ、音楽」

アルゲリッチを知っている人ならば、三女が撮影した彼女の素顔を存分に楽しめると思います。彼女の自然で本能的な生き方は、世間から見れば異端です。例えば、3人の娘は各々父親が違います。各々の娘に対し、違った母性を見せるのも面白い。それでいて、(今となっては)家族との、少なくとも娘たちとの調和は取り戻したようです。それでも「何かが欠けている。それが何か分からないけど」と、悩む姿すら隠しません。


90年代に、ベルリンでアルゲリッチの演奏を聴いた事があります。ベルフィルとのチャイコン。ゴールウェイとのプロコのCDの印象もそうですが、この映画でアルゲリッチのイメージが変わりました。以前は、他が追随できないほどのパッションが迸っていたように思います。…現在は肺癌を患っている、とのこと。関係があるかは分かりませんし、良いか悪いかということでなく、彼女の「今の」演奏が好きです。挿入曲のプ―ランクやラヴェル、哀しくて美しかった…。

『アルゲリッチ、私こそ、音楽』 trailer



「神田寛明 フルートリサイタル」

神田さんはスラっと背が高く、後ろ半身がバチっと決まっています。立ち姿が美しいだけでなく、結果胸も開いて、フルーティストの体なのだなぁと。



今日は頭が疲れていたので、チャップリンのエターナリー(ライム・ライト)が、素直に沁み渡りました。生徒さんとも是非やってみたい1曲です。Tさん、いかがでしょう♪

Eternally プラシド・ドミンゴ

Eternally サラ・ヴォーン



本当はこんなに素晴らしい演目の数々は、少し時間をおいて見聞したかったのですが、これもタイミング。ゆっくりと心と頭に行き渡らせたいと思います。

しかしブログなのに、1枚の写真も撮っていない…。地味ブログですみませんねぇ。



皆さんはどんな秋を過されていますか?

2014年10月3日金曜日

アンビヴァレント

このブログは、一義的には生徒さん達との交流や、情報発信のためにと思い始めてみましたが、気が付くと私自身の趣味ブログの体になってきたような…?

素敵な動画がありましたので、ご紹介します。

『シネマ パラダイス』~ニュー・シネマ・パラダイスより 
エンリコ・モリコーネ:音楽
Yo-Yo Ma:チェロ
Chris Botti:トランペット



この映画やモリコーネの音楽の素晴らしさは、私が語るに及びません。

ヨーヨー・マはクラシック界の、クリス・ボッティはジャズ界のスーパースター。2人の音楽はあまりに違うのに、この曲の中では1つの世界、1つの宇宙を成しています。

「甘美さと孤独」「哀しみの中にある光」「渇いた愛」「静けさの中のパッション」・・・そんな相反する感情を、同時に感じるのです。Ambivalent(アンビヴァレント)-そんな風に言うそうです。

私は音楽に限らず、そのような世界観にとても惹かれます。


…それにしてもクリス・ボッティのサウンドは、伸びが合って柔らかく、渇いているのに甘い…。(どんだけ言うんでしょう!)

彼のインタビューの中で、「体の中に響きを見つける」「朝起きてヨガをするように、毎日のルーティンワークとして音作りの練習を欠かさない」「音作りの練習では、筋肉の使い方の記憶を耳を通して行う」、というような事を言っています。ストイックなミュージシャンのようですが、私たちにも大いに参考になる発想だと思います。


…そんなクリス・ボッティが、近々来日すると言う情報が。

2014年10月17(金)/18日(土) 大阪ビルボード
2014年10月20(月)/21日(火) 東京ビルボード

情報だけでもワクワクします。


ちなみに、この『ニュー・シネマ・パラダイス』は、フルートでも楽譜が出ています。とても素敵な曲なので、興味のある生徒さんは声をかけて下さいね。